かつてこの地は神々の楽園でした。
日本の始まりを伝え、今なお悠久のロマン漂う蒜山・天空の郷。
ここは訪れる人をはるか神話の世界にいざなうミステリーゾーンかもしれません。
高天原をテーマにした冊子
日本最古の書物に「古事記」があります。
その上巻は、天地創造の時から、日本最初の天皇となった神武天皇が生まれるところまでを記述した気宇壮大な物語です。
「葦原の中つ国はすばらしい。行って治めておいで」アマテラスは子供に言う。
かつて天と地が分かれた時、それまで混沌としていた地の国(豊葦原の水穂の国)が平定したので、高天原を治めていた天照大御神(アマテラスオオミカミ)が命じます。
子供のオシホミミノミコトが言う。
「行こうと思ったら子供が生まれました。その子を変わりに行かせましょう。」こうしてアマテラスの孫のホノニニギは、3種の神器、八尺の勾玉(やさかのまがたま)、八咫の鏡(やたのかがみ)、天叢雲の剣(あまのむらくものつるぎ)を携えて天上界から地上界に降りてきます。
途中サルタヒコが出迎えて道案内をします。
これが俗に言う天孫降臨伝説です。
美作国での高天原伝説ではアメノハジメアメハシラが奈義山系に降臨し、日天津国を建国したのに始まり、天神七代、続いて地神五代が治世しています。これが奈義山系の高天原であるといわれています。「古事記」はその後、海幸彦と山幸彦の話に移っていきます。
神武天皇は山幸彦とトヨタマヒメとの間に生まれた、ウガやフキアエズの4番目の子供で、14歳になった時、国を治めるために奈良の橿原に向かったと言われています。こうした話はもちろん「古事記」を元にした空想の域を出ない伝説です。しかし蒜山地方には、これらの伝説に由来する数多くの史跡が残り、また伝承されています。
悠久の神話の時代に遡り、歴史とロマンに思いを巡らせてください。
神代は更に悠久であり、無限に近い。
我が命の源流、旭川は神代の古来からその豊かな流れが涸れることなく現代に続いている。
日本の歴史の流れも、旭川の水の流れの如く、尽きずして流れつづけている。
しかしその両者とも源泉は掴みがたく、神秘に満ちている。
高天原(たかまがはら)はここにある。
村の古老は、その存在を信じて疑わない。
岩戸は戸の形をして、昔から天の岩戸(あまのいわと)と呼ばれ、近くには鶏声(とりごえ)と言う地名や、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る茅部神社もある。
地名は神代史研究上価値がある。
伝説以上により正確にその真実を今に伝えている。
因幡と美作との国境にある那岐山(なぎせん)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が天降られた地で、那岐の地名は命(みこと)の名が由来と言われ、山頂に那岐神社があった。
それに続く蒜山高原一帯には、豊栄(とよさか)、大蛇(おろち)、祝詞(のっと)などの地名があり、吉備の国高天原説をより有力にしている。
しかし、高天原伝説は史実ではなく神話である。
上代の記録「古事記」に則った「作り事の夢物語」であったとしても、蒜山地方が神話の時代に連なる古い歴史を持つ地域に変わりない。
神々の子孫は現代に生きている。
神代から豊かな水と緑は変わりなく、ゆっくりと流れる時間の中で豊かな営みを続けている。
そこに残る数多くの史跡をご案内しましょう。
天照大御神を祀る茅部神社の由来に「本居磐座にます神社は、聞茂威志(きかまくもかしこき)天照大御神にまし座(ます)が故に、天上の儀に像(かたどり)て天磐座(あめのいわくら)と奉レ稱也」とあります。この茅部神社の奥にある山は岩倉山と言われ、その中腹に天の岩戸があります。
大蛇退治の地は、「古事記」に「出雲ノ国ノ肥ノ河上なる鳥髪の地」とあります。古代に於いては、美作山中も出雲の一部でありました。「日」も「旭」も同意語で、「肥ノ河」は旭川と推測され、その上流である川上村が大蛇退治の地と考えられます。
この「鳥髪の地」とされる鳥居ヶ乢の近くに大蛇と言う地名もあります。付近に大蛇谷があり、この地方の伝説で“直径数丈の杉の大木に大蛇が登って、その影が米子の海に映った”と伝えられています。
天の岩戸への入口とも言える大蛇橋の欄干には、大蛇退治にちなんだ蛇の彫刻がほどこされています。
茅部神社の後ろにそびえる岩倉山の中腹、奥の谷にある巨岩は戸の形をなし、昔から天の岩戸と呼ばれ、天照大御神の御隠れになった処と言い伝えられています。近くに手力男命(たぢからをのかみ)の遺跡があります。
毎年4月に「天の岩戸さくらまつり」があり、天の岩戸で神事が厳かに行われ、麓の茅部神社では露店も立ち並び、開運をお祈りする村内外の人々で賑わいます。
天照大御神が天の岩戸に隠れて闇夜となったとき、それを呼び出そうと常世の長鳴き鳥(とこよのながなきどり)を鳴かせたところ、朝が来たのかと不思議に思い岩戸を開かせた神話は、あまりにも有名な話ですが、川上村の天の岩戸の近くには、これを現実とも思わせる「鶏声」と言う地名もあります。
大蛇退治の地は「古事記」に「鳥髪の地」と書かれており、これは鳥居ヶ乢ではないかと言われています。近くに「大蛇」の地名もあります。またここは、霊山大山に参る大山道の南玄関でもあり、峠には「大山神門」と呼ばれる2本の石柱が参拝客を静かに迎えてくれます。
足名稚(あしなづち)・手名稚(てなづち)の子、櫛名田比売(くしなだひめ)が大蛇から身を隠した所が旧川上村黒岩間谷(姫谷)と言われています。
大森にある都橋の南に御殿という屋号の家があり、櫛名田比売の親、手名稚の住居跡と言われています。
郷原の茅部神社に手名稚、足名稚を思わせる手王神社、足王神社があります。
旧川上村擬宝珠山で八咫鏡(やたのかがみ)が作られたと言う伝説があります。ここからはチタニュウムが採れ、その結晶は銀色で鏡の効果も有ります。近くに、鏡ヶ成、鏡が原、鍛冶屋などの地名があるのも不思議です。
天の岩戸のある岩倉山の裾野に鎮座し、祭神は天照大御神です。拝殿には「天磐座大神宮」の額が揚げられ、元は「天磐座宮」の社号の下に祀られていたことがうかがわれます。
●詳細情報/茅部神社
上徳山天王に鎮座し、祭神はスサノヲノミコト。相殿に天照大御神ほか十余神が祀られ、別名牛頭天王とも称します。
「古事記」によれば、天照大御神が天の狭田と長田で初めて稲を御田植されたとしています。旧 川上村・八束村には、上・下長田、上・中・下福田、徳田、掛田、苗代など田の付いた地名が多く、また長田神社もあり、古式ゆかしい稲植えの祭りが今も行われています。
5月5日 お田植まつり 6月15日 蓮華祭
長田神社の境内には、真名井神社があります。その由来に「往古より鎮座の御祭神なり」とあります。天の真名井(あまのまない)は、天の安河の近くにある神聖な水を汲む井とされ、天ノ安ノ河は源を中蒜山に発し、下福田に於いて旭川に合流する井川とすれば、天ノ安ノ河原は、天ノ岩戸の北方1里に位置するヤソウ河原(山王河原)と言えるでしょう。
●詳細情報/
長田神社