東西20km、南北10kmに広がる蒜山盆地は、その昔、南の中国脊梁山脈から日本海に傾いていました。
約100万年前頃、火山の活動により蒜山三座が誕生。それまで川は中国山地から北へ流れていましたが、蒜山三座の出現により、流れは西に方向を変え、上蒜山の西側より日本海側へ流れ込むようになりました。更に約35万年前、大山の噴火によって西側がせき止められ、蒜山原湖が誕生しました。
南を中国山地、北を蒜山三座に囲まれた200㎢の蒜山原湖には珪藻(けいそう)が繁茂しました。珪藻は珪酸質の殻を持つため、死後からは湖底に堆積していきました。珪藻が生息していたのは5万年間と推定され、珪藻土の最も厚いところは約100mに達するともいわれています。
その後も大山の噴火活動は続き、現在の真庭市蒜山地区西部あたりは噴出物で埋まっていきました。逆に湖の東部は旭川水系の浸食を受け、湖水は南へと流出しはじめました。やがて湖は干上がって消滅しましたが、珪藻は化石となって残りました。蒜山高原の誕生です。
蒜山上長田花園地区で行われている「珪藻土露天掘り」は全国的にも有名です。
100mにも及ぶ珪藻土層は、蒜山三座が噴煙を上げていた頃の産物。実は火山灰をもとに湖に繁殖する植物性プランクトンが周期的に異常な増殖を繰り返した殻の堆積です。微細な穴で構成された殻は優れたろ過性を有するため、水質保全、ビールやワイン、醤油等のろ過精製をはじめ、多くの近代科学を支えています。